WBCに釘付け

キューバというと、ゴムまりみたいにぼよんぼよんしたバネのある選手達が力で相手をねじ伏せようとするパワープレーのスタイルをなんとなくイメージしていたのだが、実際にはそれほど異次元の超人達には見えなかった。

なので、日本が勝ったことがまぐれとも思えない。むしろ、野球は日本人にとって非常に親しみの持てるスポーツなのではないかとあらためて思った。

まずピッチャーの投球の1球1球でプレーが切れ、そこに張り詰めた緊張感がある。これがサッカーだと、ドサクサ紛れの流れの中から得点が生まれがちであって、ここまでの落ち着きはない。また、野球には接触プレイは少なく、一定の間合いがある。格闘技めいた烈しさがなく、小粒で細身な選手がコツコツとバットを球に当てにいっているだけでも、うまく転がるとチャンスが広がる。今回の出場チームの中でも日本選手の体重は際立って軽かったのではないか。犠打という渋く献身的な職人芸の役割もある。立ち居振る舞いの器用さとか、華やかでクリエイティヴなプレイというものは少ないかも知れないが、修練されたある型が求められている感じだ。

チームプレイについて、駅伝のように一見すると団体競技としての技を発揮しようがないような面が野球にもあるのではないか。襷ならぬ打線をつなぐという精神的な絆の美の如きものである。この意味では、普段は外国でプレイしている海外組が急遽合流したとしても、何かをチェックするような合同練習にもそれほどの意義はない。華麗なパスワークのようなリアルな連携技ではないからこその、余計に組織の中の一員を意識させるようなもの。悪く言えばまどろっこしいのだが、よく言えば奥ゆかしい。我々はそういう連帯感が好きなのではないか。

今回イチローが危なっかしそうな発言をするほどに気分の高揚を抑えていない姿を見るにつけ、野球を通じて自分が日本人であることを自分でも驚くほどに自覚しているんではないかと思った。