車処分


当地で買った2台を手放す。オペルのAstraを12000km、プジョーの106を6500km使用した。前者が1800ユーロ買い300ユーロ売り。後者が2000ユーロ買い、700ユーロ売り、どちらも購入店で引き取ってもらった。業者なだけに買値は安いが、手続きはあっという間。ちょっと試乗して値段を出してもらい、合意したら即現金払いだった。必要手続きは、一度交通局へ行って所有者の証明"antecedentes totales"を発行してもらうだけ。後は保険。2台ともZurichを使ってたが、一つはその場で車屋に電話してもらい、もう一つは自分で契約した代理店に赴いて解約した。支払済年間保険料の返還はなし。
朝4時台からの通勤、子供達の通学送迎、買物、倉庫から米や物資の運搬、出前、運転手のバイト、休日の島内散策、市街地での駐車場探しの苦労、数々の故障と部品交換、生活でも仕事でも共に四苦八苦し、フル回転した貴重な足だった。特に106は車体は安っぽくちょっとした横からの衝撃で即ひしゃげてしまいそうだが、燃費の良いディーゼルエンジンは17km/Lは走り、無駄のないデザインも気に入っていた。Adeu.

働き納め

今年の仕事は12/1で終了。本当は12/31のつもりでクリスマスの激務を予想して緊張していたが、9月以降下降気味だった売上が11月になって本当に低位で推移するに至り、オーナーからどうせ年末で辞めるんだったらもう少し早くてもいいか、と打診があり、では、と即早期退社を決めた。
昨年7、8月とバケーション状態だったところから1年3ケ月働き詰めだったし、確実ではないが来年前半の予定を自分なりに決めたので、気持は切り替え可能。都合9回引越したが、今のアパートがベスト。越年だと10回目の引越が必要で、現実的な8つ目の前アパートだと、水シャワーを覚悟せねばならず、冬場はせつない。繰り上げて年内撤収を決めた。
ひと夏を経過した段階で、事業が収益体質になく、この先にも好転の可能性は低いと思われ、加えて家族が来年は日本にとどまっているならば、自分がこの地にいる理由もないか、と考えた。当地は気候を始め社会、インフラ、食材、治安と実に過ごし易く、実際就労許可は再来年まで得ており、また頼りになる稀少な邦人家庭との縁、職場の同僚、特にベトナム人と中国人とフィリピン人のアジア連中との縁に恵まれていたので別れはとても惜しまれるところだが、仕方ない。「いい奴からいなくなるんだよな」と誰かが言ってくれ、「ま、人生そんなものよ」と他の誰かが言っていた。
本来、職場を転々と変えるのは望むところでない。まして海外だと、時間をかけて現地語を習得せずしての商売はありえない。独語には挫折したが、西語の日常会話には困らなくなり、あと2年もいたら英語のレベルを超えられるんでないか、と思える。仏語を忘れてしまったように、西語もすぐ忘れてしまうだろう。残念だが、昨今の不景気ぶりは気分的に離別を後押ししてくれる面もある。

スペイン就労・居住許可証更新

4月26日がそもそもの更新期限だった。最初にヴィザ取得を手伝ってもらった勤め先は昨年の入国以来5〜6月の2ケ月で辞めてしまい、7〜8月はトップシーズンなのに就活が芳しく進まず無職のまま。9月からは市場内鮨屋に職を得てそのまま年越し。3月になって期限が迫り、市場鮨の独人も独人法律家ネットワークでいろいろ調べてくれて大丈夫、と言ってくれてたが、労働局に提出する更新手続きに必要な書類”Vida Laboral”を社会保険事務所に申請してもなかなか自宅に届かず焦りは募る。そこへ、前年の職場からまた戻って来ないか、と誘いの話。条件は良さそうだし、ヴィザ関係にはそちらの方が強そうだから、復帰を決める。なお、待ってた書類は復帰を決めた後すぐ届く。出戻りになった処のオーナーは、新規に比べれば更新はずっと楽、と余裕の様子だったが、元々動きが遅く書類の準備に署名箇所を間違えるなど不備があったりで結局更新申請ができたのは、6月に入ってから、その結果がOKと聞かされたのは8月も終わりに入ってからだった。途中聞いたのは、最初の5〜6月は週40時間労働の雇用契約だったが、9〜3月は独人が社会保険料を節約し週20時間労働の契約だったために、すんなりと更新の許可が下りなかったとか。結果が更新可と聞かされても、労働局のCITAを指定されたのは10月10日。ここで写真を渡し、新たに指紋を取られ、40日後と聞かされ、同僚の中国人に25日で充分、と聞かされたのを信じて11月14日に労働局に行ってみたら、受け取れた。期限から半年以上遅れて漸く更新手続き完了。あまりに長く待たされて、春先には焦りを感じていたなんて遠い昔のことのよう。同じく今年5月に4回目の更新を迎えていた同僚のベトナム人は、1年のうち4ケ月ヴァケーションを取っていた点がやはり問題視されていたようだったが、結局10/11のCITA後、自分と一緒に労働局へ行って無事新タルヘタを受け取れた

雑感

俺何やってんだろ、と途方に暮れる時は多い。常識が覆されるのは気持良くもあるのだけど、そ、そこまでいくか、みたいな。

サシミの範疇は日本語のそれよりも広くて、刺身蒟蒻はないが、サシミ・フルーツと呼ぶメニューがある。単に果物盛り合わせ。器を魚の刺盛と兼用してたからか。ウナギのサシミというのもあって、ニギリから酢飯を省いたものをサシミと呼ぶ理解による。通常の刺身は氷に乗せて出すが、炙ったものを氷に乗せたら冷めちゃうので氷を使わなかったら、いや氷に乗せて欲しい、とやり直しを求められたことがあった。キュウリノワカメ。名前通りの和え物。タイノアカ。白身魚入赤出汁味噌汁。ヤキメシ、という語はどうも印象深いようで、口癖のように、意味もなくヤキメシ!と叫ぶ人が時々いる。西語読みでジャキメシ、ジャキソバに聞こえることもある。ユズはジュズになる。ウナギテン。鰻入裏巻を揚げたの。タヌキテン。鰻と海老天を裏巻にした外側に天かすをまぶす。フトマキテンは海老天を巻いてから更に揚げる。揚げ物は人気で、ベジタリアン物も野菜天がづらり並んで一段と高カロリーなメニューになる。

日本でもネタなしの握りのシャリだけ頼む人がいるので、ここでそういうオーダーがあっても驚かなかったが、面食らったのはヤキソバを具なしで麺だけ炒めて出してくれ、というもの。勿論通常料金。本当にそれが一番美味しいと感じるんだろうか。いつも甘海老と茹で海老を頼んで、食べた後、必ず尻尾を大切そうに箱に仕舞って持ち帰ってた客は猫にでも食わせてたんだろうか。

醤油の消費量は半端ない。自分に言わせれば消費量より廃棄量の方がずっと多い。たかが2人前ほどの持ち帰り寿司に店が用意する醤油の量がキッコーマンの卓上小瓶1本に匹敵する量だったりする。「それ、日本だったら一般家庭で一週間使える量なんだけど」と言ってみたが、「日本人はエコノミカルだからな」と一笑に付され、聞き入れられなかった。理解し難い。

確かにこっちの味つけは濃い。醤油を飲む客がいるくらい、塩気の強さが好まれる。そして、中国人同僚から和食って甘いよな、と言われ、それは自分では納得できてないが、中国人にとっても自分にとってもこっちのデザートは文句なくとても甘い。

レストラン店内よりも、賄いの食べ方でアジア系と欧州系の違いがはっきりわかる。欧州人はスープ以外は常に平らな食器を好み、茶碗や丼を使おうとしない。スープも熱いと気乗りしない。アジア系は熱いのも辛いのも酸っぱいのもどんな具でも汁物は大好きで、基本汁物と御飯があれば満足する。欧州人は白い御飯よりも断然炒飯を好む。素の白い御飯を食べるためには上から醤油、テリヤキソース、スパイシーマヨネーズなどをドバドバかけないと気がすまない。麺類は炒めて、トマトソース、更にチーズを乗せれば欧州人は目の色を変えて食べるが、スープ仕立てだとアジア人が独占する。一度自分好みで蕎麦を茹でた際は、欧州人は手をつけず、アジア人は麺つゆに胡麻油、辣油、チリソースなど追加して好みに調節していた。一応Noodle Barという店もあるけど、あの不味さだったし、名前の割にSushiを売りにしてるくらいだし、ラーメン屋は流行らない気がする。

2ケ月ぶりの休日

7、8月のトップシーズン。昨年は職探しでプラプラする毎日だったが、今年は一転フルで皆勤することができた。休みなしといっても、所詮スペイン。自分の場合、最長でも1日16時間、通常は14時間程度だった。同僚達はもっと少ない。基本はレストランが開店する昼の12時が出勤タイム。同僚の中には1日かっきり8時間しか働きたくない、という奴もいて、10分でも超過するのを凄く嫌がったりする。自分は客が来ていて料理を提供しなくてはならない時に同時にネタケース準備したり魚の掃除とかする方がもっと嫌だが、かといって同僚にもっと早く来いと説得する気にもなれず自然一人10時半には店に出てた。なにしろ日本の寿司屋に比べたらどってことない。魚は魚屋が届けてくれるし、冷凍物が多い。塩・酢を使った仕込みはない。人気の鰻だって冷凍蒲焼パックを開いて切って炙るだけ。象徴的なのは、こっちのシェフ達は柳の次の包丁には薄刃を欲しがる傾向にあることだ。出刃ではないのだ。接客も皿洗いも配達も専用要員がいて役割が分担されており、自分の担当以外のところが忙しくても手伝わなくていいのも日本では考えられない。
大変なのは、肉体的にも疲労してくる1日の最後にやってくる夜の9時から11時くらいのピークタイムで、注文から提供まで1時間かかる日を何日も作ってしまった。もっと準備がしっかりしてれば早くこなせたし、そもそも自分の作業スピードも未だ瞬発力に欠けて遅かった。キッチンは、夏前までいたアルゼンチン人2人とドイツ人が抜けた後、ベトナム人、中国人、途中からギリシア人、チリ人も加わって計3〜5人で回していたが、時間がかかることはあっても、料理の質もチームワークも悪くなかったと思う。ただ、システム的にもサービスのレベルは低かった。流れてくるオーダーを機械的に早い順にこなしていると、ちょっと食べ足りなくての追加注文の河童巻1本出すのにも1時間かかったりで、これでクレームがない方がおかしい。クレームと言えば、25年間肉を口にしたことがないベジタリアンのおばさんに野菜春巻と間違えて普通の豚春巻を食わせてしまう事件があった。6人分の食事代がフリーになった。食事中に自宅が空き巣に入られる客もいた。皆が忙しくしてるドサクサの中、チップ集金箱の金に手をつけたのを目撃され、盗った、盗ってないの騒ぎになって、それに二日酔い出勤が加わり、結局解雇になったウェイターもいた。クレームも妙な事件も飲食業には付き物なんだろうけど。事件と言えば、7月中旬のある日、店に来てみたら、看板が外されつつあって何かと思ったらオーナーの決断による店名・メニュー変更で、オーナー自身の予想より早く業者が作業に取り掛かっていたということだった。その日の昼いっぱいで旧メニューは終了。夜からいきなり新メニューで現場はなかなかの混乱だった。
スペインならではなのは食事の開始が遅いこと。これは決定的に自分には馴染めないところ。7月中盤から8月いっぱいはオーダーストップを夜の12時にしていたが、ファミリー客が本当に夜の11時過ぎに普通に食事をしにくる。12時を過ぎてるのに乳母車の子供は起きてて、もう少し大きい子達は店内を走り回って遊んでたりする。そして客はほぼ全員外のテラスに座る。日中、暑い間は外を歩く人通りも全然なかったのに、どこから人が沸いてくるのか。キッチンから視界に入る室内テーブルには誰も座っていないのにオーダーだけは外部の闇の中から続々と押し寄せる。まるで見えない敵と戦っているようだった。ウェイター達に言わせると、ドイツ人は長くてもキッカリ2時間で帰っていくという。彼らは7〜8時位から食べだして、彼らが帰った後にスペイン人達がやって来る。スペイン人は長い。金は使わないが、長々としゃべり続けて1時を過ぎても帰らない。社員が開店時間に出勤してる店側だが、ここでは、そろそろ看板仕舞うんで・・などとは言わず、最後の客が帰るまで辛抱して待っている。

barcos en la costa

引越して3週間、先週からはコルドバから来た西人画家と一緒に住んでいる。仕事がオフなら一緒に海へ行くか、と声をかけられるも、強い日差しに混雑する観光客に全然気がすすまない。それでも、どうせ暑いなら思いっきり汗をかくべく走りたくなる、のは昔から変わらない。夕方4時くらいから海岸沿いにゆっくり進んでみる。砂浜がないと人が減るが船は多い。海は穏やか。