9連休最終日

遂に自宅の周囲をウロウロするくらいで大したイベントもない連休だった。それでも後半は妻がガキ達を連れて泊まりで出掛けてくれたお陰で時間がとれた。
読んだ本は、伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』、絲山 秋子『沖で待つ』、司馬遼太郎国盗り物語』、柄谷行人『世界共和国へ』。昨夜はたまたまBSをつけていたら、映画『IMAGINE』をやっていて、結局司馬遼太郎の頁を片手で開き続けたまま最後まで見入ってしまった。蝮の斎藤道三ジョン・レノンも案外共通点がある。宗教の価値を知りつつ頓着しない。司馬は道三を同時代人であるマキャベリの思想の体現者と言う。即ち、人は1)恩を忘れやすく、2)移り気で、3)偽善的で、4)危険に際しては臆病で、5)利にのぞんでは貪欲であると。人の性質を見抜いた上で神仏も利用の対象とし、不遜さや奇行は世間の顰蹙を買う。より善悪に強烈なこだわりを持つが故に日蓮宗徒に悪人が多いと言う道三の台詞に、子供心に母方の菩提寺で聞いた日蓮宗の朗々とした経に父方の浄土宗と比べて生々しいアクの強さを感じた記憶を想い出す。柄谷のアソシエーショニズム論においては、ヘーゲルの「理性の狡知」とカントの「自然の狡知」が対置され、宗教批判は当然としながら「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」というカントの理想が紹介されていた。ただ、本性として「反社会的社会性」を帯びた国民が自然、徐々に国の主権放棄をすることこそが国家の揚棄につながり、グローバルコミュニケーション(アソシエーション)の実現を導くとする結論は、「道筋ははっきりしている」と柄谷が言う通りあっけらかんなのだが、現実的にはどうなのだろう。本来国家主義的でなかった故に国家主義的独裁に帰結したマルクス主義の轍との違いとか、一読してまだよくわかってない。