リーダーシップ

R30氏ブログにリーダーシップの見本のような話が載っていた。リーダーと言えば、○○を目指そう、皆で頑張ろう、と大声で言える人というイメージがあるが、上の人間が躍起になって号令をかければかけるほど、笛吹けど踊らず、な組織は多い気がする。リーダーとは、立て板に水を流すが如くにどれだけ立派なことを言えるかではなく、聞く者の気持の中に自分にもできそう、という火をつけさせ、その火をメラメラと大きく燃え上がらせる、対話のパワーが問われるものなんだと思う。

だが、別にリーダーだからということでなくても、ここで言われているような、人と対話を重ねながら議論を決着させて行こうとする力というものは我々にとって欠けがちなものではないだろうか。

相手の発言を受けて当意即妙な返答を用意すること、相手のロジックを受けて同じくロジックで切り返すこと。会話のキャッチボールの中から自分が目指す方向へ議論をロジカルに引っ張っていくこと。多くの大人達が、一方的にしゃべる、聞く、のスタイルに馴染みきっている。よく言えば、話すと聞くとの役割分担を明確にした、行儀の良い作法なのかも知れない。が、今の時代に他人のやる気を引き出そうとするなら、筋書き通り、型通りのやり方ではなく、相手の懐の奥深くまで鋭く切り込む対話力と論理力が必要だ。

そういえば、以前ある書評に反応したエントリを思い出した。(参照)

トップ営業マンは、二つのタイプの質問を使い分ける。それはお客様のニーズを探る質問と、お客様に言わせる質問である。
同じことでも、自分で言えば相手は疑い、相手が言えば真実になるのである。


ところで、優れたリーダーによって組織は導かれていくものであろうが、まともな組織があってこそまともなリーダーを育てるという面もある。リーダーと言っても、正真正銘パワーを持つのではなく、トラの威を借るキツネ型というのがある。沼上幹氏の本を読んで知った。どれも面白いのだが、こちらから引用してみる。

厄介者が権力を発揮できるか否かは、「大人しい優等生」たちが対決を恐れて沈黙を守り続けるか否かにかかっており、キツネが権力を持つのも「怖い専務」に直接会いに行く勇気を持たない「大人しい優等生」が多数派だからである。「大人」として行動することをたたき込まれてきた、育ちの良い優等生たちが実は組織疲労の原因となるコレステロールのような権力を育む土壌を提供している。羊たちの沈黙が権力の温床になるということを忘れてはならない。


キツネを生まないためには、組織の一人一人がおとなしい優等生にならないように気をつけなくてはならない。ここでも、自分の意見を率直に発言できる対話力が求められる。人と対決することを怖れたり、所詮私なんて、と分をわきまえ過ぎてしまう弱さの隙にキツネは入り込むのだ。あるいは、「会社の命令だから」、「あの人がやれって言うから」といった具合に、トラを仕立て上げて自分自身の曲がった行動の言い訳をしようとする一人キツネというのもあるかも知れない。所詮、人は弱いのであり、少しでも弱さを隠そうとするがために何かの威にすがりたくなるのだ。

組織の中にキツネ・リーダーを発生させないために意識したいのは、情報を溜めず、埋もれさせないことである。それも、格好悪い、都合の悪い情報ほど早く広くよく見える状態に晒すことだ。腐った組織ほど、上からも下からもフィルターによって薄められた、毒にも薬にもならないぬるい情報が伝わるものである。スカスカの空疎な事実関係を基にいくら対話を重ねても時間の無駄だ。キツネは撲滅。真のリーダーシップを発揮できる強い人達が増えて欲しい。