ハノーバーと東大阪

特大エレクトロニクスショー、CeBITにビジター参加すべくHannoverを初訪問。1週間の会期中アメリカから出張のSさんと3日間を過ごす。ホテルは混雑しているようで、宿泊先は普通の一般家庭。それでも朝飯付で1泊110ユーロもした。

広大な会場の敷地では、25棟程もホールが使用され、ホールからホールへの移動にはタクシーを要する程。勿論各々のホール内にはハードウェア、ソフトウェアの企業ブースがびっしり並んでいる。

ありがたいことに、パートナーの独G社のブースを前進基地として利用させてもらい、キッチン付であるが故に、いつでも食事のおこぼれに恵まれた。食のテーマが日替わりで国籍が異なり、初日〜3日目までは、順に日・西・仏式だった。なんと連日夜の12時位まで皆でブースに居残っての飲食。私は2日目に数日フライングしてのオランダの果実酒で記憶を失った。目撃証言によると、「ドイツがいいよぅ。引っ越そう。」と連呼していたらしい。

印象的だったのは、出展ブースの性格が地域単位でだいぶ違うこと。一言で言うと、ハードの東アジアとソフトの欧米。そしてアジアと言っても、日本のプレゼンスは一部の家電大手に限られて、台湾・中国・韓国・香港・陣がそれぞれ束になって軒を連ねていたことだ。総出展社数6,059社中、半数近くを占めるドイツは別格として、台湾602社、中国471社、韓国215社、香港197社に対し、日本からは25社にとどまったそうだ。ビジネスショーの露出量で国力が判断できる訳でもないだろうが、淋しくは感じた。(参照)Sさんは、たまたま出くわしたテレビ東京の取材に対し、「日本政府に産業を育てる戦略が欠けている・・・」とTVウケしそうなコメントをしていた。

こんなに会社があって本当に皆が食っていけるほどの市場があるんだろうか、という疑問も沸く。それでも、各自の事業を熱く語るいろんな国籍の人達が大勢目の前にいつつ、日本人が少ないという光景に、俺は頑張るぞ、と元気が沸いてきたのも事実。

日本に戻ってすぐに東大阪は八尾市に出張。社歴10年強と比較的新しい、某金型メーカーを訪問。K社長の言葉に、なるほどと思った。曰く、最早日本の金型製造業に技術力の優位性を見出すのは難しい。トヨタは別格として、弱電メーカーにブランド力はあっても、若い技術者が育っているとは言い難い。以前は確かに職人芸が活きていたが、それらは次世代に伝承されず、一方でデジタル設計開発に関しては、設備も技術者のレベルも中国の後塵を拝しているのが現実である。技術立国の優位は揺るがないなんて能天気な話は、ちゃんちゃら勘違いも甚だしい、と言うのである。

デザインが注目されている、と言ったところで、所詮クリエイター達のアートな作品では産業界にインパクトを与え得ない。日本はCAD技術者が少な過ぎる。アメリカの意向に従い、同一のソフトを世界で一番高い値段で買わされ(植民地価格!)、自国でのソフト開発も技術者の養成もアジア諸国に比べ進んでおらず、将来は悲観せざるを得ない。重箱の隅をつつくようなひたすら繊細さが求められる金型業界において日系企業に希望の灯がない訳でもないが、逆に言えば、創造性が求められる開発企画力の場面では、付加価値を生み辛いとの由。

馴染みの薄かった、下請城下町の中小企業の話を初めて聞いた訳なのだが、CeBITで感じた印象を裏付けるような話で、なんだか合点がいってしまった。グローバリゼーションの荒波に翻弄されまくっている金型業。それでも中には、他の追随を許さない技術を保持してしぶとく生き残る企業もあるんだろうけれど、厳しい世界を違う角度で垣間見た気がした。