Au revoir

今日は社員6人の最終出社日。毎朝コーヒーを淹れてくれてたX君が、朝出社して握手するなり、お前は明日から自分でコーヒーを淹れられるのか?と尋ねてくる。問題はコーヒーなんかじゃなくて、電話や突然の来客なんだけれど、なるようにしかならんだろう。

社員のブログでの言動について日米からクレームが相次ぎ、頼むよ、と削除、訂正を要求する。正反対の内容のリクエストに本人から、最後の日までコミュニケーションプロブレムかよ、と皮肉られる。個人の発言に今後元雇用主がどこまで口出しできるのかよくわからない。契約や法律が何か定められているのかと思うが、きちんと調べる気にはなれてない。

辞める社員に関して、今後もし何か仕事を発注をしたら請けたい意向があるだろうか、みたいな問い合わせが何度か来たが、真剣には取り合わなかった。解雇しながらの、この質問って無神経に過ぎないだろうか。古いクライアントだろうが、新しいクライアントだろうが、常に互いに選び、選ばれる関係であるものだ。先のことなんかわからない。彼女に別れを告げられる時に、「でも、私が寂しい時は遊んでね」とか言われたら、もちろんだよ、って言うかも知れないけれど、 そこに意味があるかね。ん、違うか。普通の大人だったら、目くじら立てないものなのかな。

全員からオフィスの鍵を返却してもらう。昼から、アペリティフ・タイムとなり、テラスで飲食。近くのサーキットへカート乗りに繰り出そう、との声が上がるが、今日は定休日で中止。最後のランチはピザ屋へ行こう、となるが、私は一人でスコッチを煽ってて酔っ払い、つまみとCさんが買ってきたクロワッサンでもう満腹気味だったので辞退。

気が合うようでも、一度口論が始まれば激しくなる。実は、意見の相違がはっきりあった方が統治はし易いことに気づかされたのも確か。クルドやアフリカの同じ民族が国境で分断されている背景にも少し近づけた気がする。

だが、諸々見解の相違があろうと、少なくとも日本の親会社に対しての見方は一致していただろう。統治されていたなんて意識は低い。「一体どこへ向かおうとしているんだ?日本人は何がしたいんだ?」しばしば問い質されたが、納得させられる説明ができたとは思えない。米欧間の意見対立なんかにしても、「今回はこうだからこうする」って明確なリーダーシップを発揮できたら現場のストレスを減らせたのだけど。「とりあえず君等の給料、日本から送金されてるんだけど〜」くらいしか、言えなかったことになるだろうか。

なんか絵に描いたような、トホホな人を演じ続けてきた。誰を責めるでも恨むでもない。ただ、もう懲りましたよ。最後は一人一人と握手しての別れだったが、感謝めいた言葉を言われるほどにつらい。今にして思えば、早々に帰国せずに最後までオフィスに残って、気まずい想いで皆の背中を見送れたのもよかったとは思う。お蔭で固く決意することができた。この経験はもう2度と御免だ。