見習7ケ月経過

年下の兄弟子が辞めることとなった。以下、新鮮に思えたこと。
先ず、辞める本人が最後の最後まで店のために最大限尽くそうとしていることに驚いた。しかも辞めた後、年末の繁忙期には再度店を手伝いに来ようかという話があるという。自分は過去に2回辞表を書いた経験があるが、ある程度業務の引継ぎのために配慮は考えたものの、諸々の場面で後は残った人達で勝手にやってくれ、という態度をとったものだ。特に営業の人間関係など他人に100%を移管することなど土台無理な訳で、後任の腕次第で劇的な改善が図られる場合だってあると思うのだ。最初の会社では半年に1回の賞与の明細をもらうのと引き換えに辞表を出し、明日以降残りの有給を全部消化させてくれ、とお願いしたものだった。自分がそう思うくらいだから、他人がそうするのも自然と思う。とにかく嫌いだったのは、勤め先への不満ばかり言いいつつ辞めようとしない奴だった。ただ、辞めると言い出した時点で、社内での信用度はゼロになるようなもの。そんな立場で積極的に職場への貢献を口にするのは空々しいように思えるのだ。それがここでは、そうは聞こえないようであるので、この辺がドライな雇用被雇用の関係とは違う師弟の関係なのだろうかと思った。

同様に、店側も辞める人間に最後の最後までプレイヤーとして重責を担わせる点にへーっと思った。自分のような後任が頼りないという事実もあるのだが、自分が雇用者であったら、実現可能と思しき引継ぎ情報を退職者から書面で用意させることを真っ先に最終業務として与えたと思う。プレイヤーとして扱うということは指導もするし、説教もするということ。それは何のためなのだろうか、と考えるにつけ、やはりそれが師弟というものなのかと思い至る。

過去の自分、特に経営に関わっていた時分は、会社というものは金儲けマシンであるのだ、ということを口癖にように言い続けてきた。金儲けを第一義的な目的であることを基準にしなければ機能し得ない。ただ、長期と短期の物差しは別に持たなくてはならなくて、今日の売上と来年の売上とどちらが大切なのかはケースバイケースで考える必要がある、ということだった。金儲けマシンの価値基準から師弟関係をどう捉えればいいのかというと、たぶん長期的な金儲けのベースとなる、人材育成の点から有意義であるということかと思えるのだが、それならそれで、長期的に発生する利点というものが何かもっと明瞭化されるといいんじゃないかと思える。その利点についてはよくわからないのだが、ただ、自分が金儲けマシンの一歯車として、職人見習いという立場で機能するかというと甚だ疑問という自覚はある。板前業よりは、ネットマーケティングあたりに注力する方が余程合理的なのだ。なので、やはりマシンの一部というよりは、学校に入学して、体育会の集団合宿に参加しているという気分の方がより適切だという気がしている。学校だから、いつか卒業しなくてはならない。中退かも知れないが、とにかくいつまでも居座ることはできない。それも師弟の枠内で割り切れる話と思うのだ。