ハロー、椎間板ヘルニア

4月19日に発症した腰の痛みは2週間くらいで沈静化した。身体が動かし易くなったGW中の3連休に最もやりたかったことは「走る」こと。ウェア・装備等をいつものように準備して、いつもの隅田川コースをゆっくりとでも完走しようといざ、と走り出したのが、5月6日の朝。しかし、走り出して3分もすると左脛に痛みを感じてあっさりリタイア。ギックリ腰発症から1週間して股関節痛、2週間位すると、下半身の後側全体がビリビリと電気が走った感じが強くなってきた。あんまりなので、腰ではなく両方のふくらはぎに湿布を張ってたくらい。走るなんてとんでもないことだと知らされる。もう一つ、嫌でも自覚させられるようになったのは、飲み薬の効用。ロブという解熱・鎮痛・消炎剤とチロルビットという筋肉弛緩剤を日に3回分処方されているのだが、いつも同時に飲むのでどっちがどうとは判らないのだが、とにかく効いている時と効いていない時とで体調が全く異なるということ。薬が効いてても走ることは不可能なのだが、薬が切れれば立っているのも苦痛、歩行は足を引きずって、ということになる。晩飯後に服用してないと翌朝は脚がひび割れて崩れ落ちそうな感覚で簡単には起きられない。当初処方箋通りに食後30分以内に服用するようにしてきていたが、効き目があるのは、服用後1時間後から5時間くらいであることを知る。昼飯後すぐに飲むと、その8時間後位になる夜の営業の片付け時には立つ、歩く、という基本動作からしてかなり辛いことに気がつき、食事時間とは無関係にその日の予約状況から予測して忙しそうな時間帯に薬が効いていることを考えるようになった。狭心症患者がニトログリセリンを手放せないかのようなシーンをドラマなんかで見たことはあったが、まさに自分が朝の出掛け時に慎重に薬をチェックする身になったのである。医者からは、できれば薬に頼りすぎないほうがいい、と言われており、言われなくてももともと薬嫌いであったのだが、すっかり依存症になってしまった。下半身の痺れがはっきり続くので、これはどうも新フェーズに入ったようだ、と思い始めたのが3週目、GW明けのこと。そして、整形外科から紹介を受けた神田のクリニックに予約を入れた休みの今日、MRI(Magnetic Resonance Imaging)の画像を取ってもらった。帰りの銀座線の車中で大きなフィルムを広げ眺めて、素人目にもわかった。背骨下部の隙間からプリッとはみ出た物体が背骨の後ろを縦に走っている神経筋にメリメリめり込んでいる。神経らしき太いラインだけを抽出した画像では、該当箇所だけがブチリと切断されている。その足で向かった整形外科で医者の一言。「かなり大きなヘルニアですね。」最もヘルニアになりやすい第四腰骨と第五腰骨の間の椎間板らしい。横に見た断面図では、おにぎり型の脊柱管がヘルニアの腫瘍瘤によってぺしゃんこに押し潰されている。中心だがやや左側に潰れている、という点は、両足が痺れるがどちらかと左足、という自覚症状と見事に一致していて、脹脛と腰骨の神経の繋がり具合に妙に納得。かかりつけのT医師は、あんまり深刻な様子でない。薬飲んでないと、立ってらんないくらい痛いんですけど〜、と訴えると、じゃあ、薬飲んでる間は大丈夫なんですね。不意をつく念押しでそっけない。そもそも整形外科に診療・薬処方・リハビリで来てる患者達の平均年齢は私より30歳近く年上だったりで、もう歩き方からして赤ん坊のように大変な人達が多い。腰痛なんて当たり前、自力で歩けるのならまだまだ健康体、というところなのかも知れない。ギックリ腰の正体がわかったからといって、今まで通りの薬を飲んで様子を見ましょうとのこと。医師の話やウェブで調べてみたところでは、椎間板ヘルニアで緊急手術が必要というのは全体の5%程度で、麻痺が一生残りかねない尿・直腸障害、余程日常生活に支障がある、3ケ月経っても改善が見られない、というような症状の場合らしい。私の脱出型の比較的大きなヘルニアというのは、案外放置しておいても、血行に晒された椎間板に炎症細胞の侵潤、貪食、分解とか体内の自浄作用みたいなもので自然退縮することは多いらしい。ただ、その自浄作用に3ケ月から6ケ月かかる、というのは憂鬱な話。神経ブロック注射は、痛くて寝れないような場合には有効だが、ヘルニアを除去するものではなく、私のように立ってて痛い場合は必ずしも有効かどうかは判らないらしい。手術の場合は、背骨に管を通して腫瘤を取り除く、と一言で言えば簡単で、ブツをこの目で見たい気がするのもやまやまだが、そうすんなり片付くものなのか、あまり気乗りするものでもない。どうして発症に至ったかを想像するに、立ち仕事が一概に悪いという訳でもないらしい。むしろ、若い頃からの姿勢の悪さではなかったか。椅子に低く浅く、背骨を丸めてえんえんPCに向かっている時間は思えば実に長かった。でも昔を悔いても始まらない。これからどうするのかは、自らの体、自らが生んだ種瘤と相談して考えよう。早くまた全力で走れる体に戻りたい。