追い剥ぎに遭遇

3年振りのロンドンで大失敗。1ポンド162円は一頃に比べれば安くなった。チケットも、8月の出発まで1ケ月を切った段階で買っても、アエロフロートなら10万円で買えた。飛行機は夜10時に着き、ヒースローエキスプレスを使う。予約したホテルの最寄の地下鉄駅に11時半頃着き、そこからホテルまでの約2kmの道中、雨中で深夜だったが、イギリスはなんでも高いし、行く先もよくわからないバスの行列に並びたくもなかったので迷うことなく歩く。しかし、初めてのホテルで土地勘が無く、モスクワでの3時間のトランジットなどで疲れて眠かったし、重いスーツケースをガラガラ転がしつつ雨に濡れて視界は悪いし寒いし、目的地はまだかまだか、と気持の余裕を無くして歩いていた。そんな折から悪夢発生。駅から20分位歩き、もうそろそろか、と見つめる先、不意に後ろから擦り抜けるように追い越してきた人影がこちらをくるりと振り向いてとおせんぼする。あれっと思って後を振り返った時には、2人の人影が目の前までピタリと迫って来てた。しまった、と思った時にはもう遅い。黒人3人が一斉につかみかかってくる。両腰のポケットを探る男、肩に掛けた鞄を引っ張る男、”Calm down!”と言いながら顔めがけて殴りつけてくる男。なるほど、倒されながら初めて気がつくに、ちょうど店や人家が途絶えた暗がりなのだった。ポケットの財布とパスポートは絶対渡せん、と、もがき抵抗し、奇声を発しているうちに、鞄だけ毟り取って彼らは走り去った。時間にして1分足らずか。後から考えたら変な話なのだが、彼らは逃げたというのに、そこで自分まで逆方向に逃げるように駆け出していた。財布を取り逃した彼らが執念深く追いかけてくるような気がしてしまったのだ。100m弱で、中華のテイクアウト屋を見つけて泥だらけの体で駆け込む。黒人の女性客にバスを使わなきゃだめよ、券が1枚あるから使いなさいよ、と諭される。ホテルの住所も電話番号も失くしてしまったが、記憶ではもうすぐそこの筈なので、バスは使わずに急ぎ行く。しかし、1泊30ポンドの安宿は看板も外灯も出しておらず、それと気付かずに真っ暗な建物の前を何度も通り過ぎていた。その間、ぶらぶらしている黒人連中に度々出くわし、その都度怖くなって駆けていた。一度はからかわれて追いかけられた。やっと辿り着いたホテルで顛末を話し、警察に電話してもらう。ホテルの人間と言えばインド人ぽい顔の若者一人しかいないのだが、彼のアドバイスは、警察が来るはずだし、何か荷物が見つかるかも知れないから、もう一度現場へ行って来い、というもの。彼は警察にホテル内に入られるのが迷惑らしい。外はもうやだよ、と言っても、自分から警察に連絡したこともあって、いいからいいから、と強引。日本人が珍しいらしく、そのモーリシャス人の彼には滞在中、ヘイ、ジャパン!と呼ばれることになる。寒い雨の中、仕方なく現場を再訪したところ、だいぶ経って、夜中の2時に警察と会うことができた。そして、驚くべき話を聞く。まるで気がつかなかったが、自分が襲われた現場に通りがかりの目撃者がいたらしい。イギリス名物の監視カメラではなく、自転車に乗った通行人である。彼は、盗賊達を追跡し、同時に警察に通報し、結局2人が逮捕された。もう1人は逃亡したらしいが、逮捕した2人のそばからは盗難品の一部が投げ捨てられているのが見つかった。見つかった品とは、ノートパソコン、国際運転免許証、日本円2万5千円、銀行のカードに家の鍵。逆に、見つからなかった品々は、鞄、デジカメ、手帳、e-ticket等の書類、カードや日本円が入っていた財布、デンマークスウェーデンの貨幣1万数千円分、歯磨きセット、虫さされ薬、目薬、ヘルニアの薬、スーツケースの鍵、文庫本など。財布の中身を捨てて行くとは珍しい。PCが無事なのも幸いだった。重いスーツケースには鍵をかけてなくて本当にラッキーだった。殴られた顔は多少痛みは残ったが、傷が目立つとか要通院とかいうものではない。AIUの旅行保険はどの程度補償してくれるんだろう。翌朝8時に調書作成のために警察がホテルまで迎えに来る筈だったのに、向こうはこちらが警察署に出向くものと勝手に勘違いしていて、半日時間を浪費。調書作成の折には、今後裁判に出るか、と聞かれたが、航空券を買ってくれる訳でもなさそうなので、これ以上事件には関わりたくない、といった旨にサインしてきた。捕まった2人は若者で犯行は否定しているらしい。顔を見覚えているか、とも聞かれたが、自信はなかったので、そう答えた。見つかった品々は家の鍵を除いて戻ってきた。家の鍵は、今後の調査があるので渡せないんだそうだが、どんな調査をするのか、調査後本当に返してくれるのか、どうも怪しい気配だ。振り返ってみるに、知らない夜道を不用意に歩いた迂闊さが悔やまれる。翌日になって知ったことだが、黒人とアラブ系の住人が多い地区だった。日本人はカモという常識を裏付けてしまった可能性もある。窃盗団が素手ではなく武器を手にしていたら展開は違っていたかも知れない。学生時代に熱くペレストロイカを講義してくれた秋野教授が、確か国連査察団として赴いたタジキスタンの山中でゲリラに襲撃されて一瞬のうちにマシンガンで蜂の巣になった事件を思い出す。人が死ぬなんてあっというまなのだ。

道路の左側の歩道、太い木の下が犯行現場。